大月キリスト教学園

自己表現

感性の共有

自尊感情を育てる

環境からの学び

自分をコントロールすること

我慢や集団のルールを守れない子どもが増えています。これまでの日本の教育において子どもたちは、「静かにしていなさい」「まわりに迷惑をかけてはいけない。」など、大人の押しつけでコントロールされ、大人にとって都合のいい自律性を育てられてきました。

しかし本当は、押しつけではなく、自分を抑える前の段階に目を向けなければなりません。 まず子どもたちに自己表現や自己主張の場をおもいきり与えてあげる。そして受け入れる。これを数多く積み重ねるなかで、(自己主張は気持ちがいいものだ。しかしもそれを受け入れてもらえることはなんて幸せなことなんだろう。こんなに気持ちがいいならば、自分も相手を受け入れていこう。)と子ども自身が気づいていくのです。 それが他者の存在や気持ちに気づき、より良い関係を結ぶためにときには我慢をする、という自己コントロールに結び付くのです。

言葉を大切にする機会を多くつくる

お話を上手に聞くことができないという点も近年の傾向です。 これは言葉を通して相手と心の交流を結ぼうという意識が欠けているためです。 モノの取り合いという場面で、気に入らないからと手をだしてしまって問題を解決するのではなく、言葉で主張することを望みたいと思います。言葉を大切にする意識を持つには、機会が必要です。 自分が伝えたいことを喜んで話せる場、相手のことをしっかり聞くことができる場を多く持つよう心掛けています。

豊かな感性を身につける

いい音楽を聴いて感動できるのは感性です。また演奏者が聴衆に感動を与えたいという思いで演奏するのも感性です。 その思いに私たちは心を寄せ、同じ感情で音を通して結びつくことができるのです。 社会はこのような結びつきで成り立っています。 豊かな感性とはこのように、自分の心と他者の心を重ね合わせることではないでしょうか。

けがをしてつらい思いをしている友達に、心を重ね合わせ、(痛いんだろうな)という思いを感じ、痛みを共有できるのはとても豊かな感性です。改めて教育するまでもなく、この点は大人よりも子どものほうが豊かな感性を持っていますから、いつまでもそんな気持ちを忘れない環境を用意したいと考えています。

大きく傷つけない範囲で、現実への対応も必要

5歳前半から後半にかけて子どもたちは(こんなことができるようになったんだ。自分ってすごいんだ)と思うようになります。3歳の子どもたちが競走した場合、隣の子が遅れていると自分も合わせてゴールしますが、5歳では迷うことなく自分が先にいきます。相撲をやった場合にも、(A君とやると負けてしまう)と体験でわかると、強い相手を敬遠しようとします。

これが自己肯定感です。プライドが傷つけられることを恐れての行動ですが、この感情は大切にしたいものです。 その上で、「負ける」とか「恥をかく」という経験も社会人となるために通らなければならないことです。自己肯定感を傷つけず、そのような体験も踏みながら、経過をたどって徐々に自尊感情が育まれていくことを願っています。 強さも弱さも認めながら自分を誇れる子どもは、相手をしっかり認めることのできる子どもなのです。

憧れ、挑戦、達成、意欲

当園ではとくに縦割りを意識していません。園全体がひとつのクラスという考えです。 表現発表会において、年少さんが、年中、年長さんの演技を見るとき、憧れのまなざしになります。 そして表現発表会が終わったあとには、年長さんの演技を真似してやっています。

憧れから始まって、自分もやってみたいという挑戦心を持ち、それが達成されることでさらに次のステップへの意欲が生まれます。同年齢同士でも、跳び箱のうまい子を見ていれば、あの子のようになりたいという憧れから、挑戦、達成、次への意欲と意識が高まっていきます。

行事そのものも大切ですが、むしろそのあと、行事をきっかけに園児たちがどのように変わっていくかということがいちばん大切なことです。だからこそ、3、4、5歳が同じ屋根の下で生活する意味があるのです。

なぜ遊びが大切か

遊びは子どもの本能的な欲求の表現です。遊びを通して思考力、想像力、集中力、友達とかかわる力、手先の器用さ、身体のしなやかさが発達します。遊びとはまさに人生を上手にいきるための疑似体験なのです。保護者の皆様の中には園の3年間を安全に見守っていてくれればいい、という考えで子どもさんを託す方も少なからずいらっしゃいます。でも3年で子どもたちが学びとるものは莫大な財産なのです。たんに楽しければいいという発想ではなく、年齢にふさわしい学びができるよう、環境を整えて子どもたちを見つめています。

永遠の生命を感じること

当園では農園保育を行っていますが、収穫した作物を食べて終わりではなく、種を蒔く、水をあげる、草をむしるという段階からすべて子どもたちに関わってもらいます。

植物の枯れた葉は肥料になり、作物を作るサイクルに組み込まれることも目で見て、感じとって欲しいのです。また、園のまわりの昆虫が卵を産み落として死んでいき、残された卵が厳しい冬を過ごし、春にまた新しい命を誕生させるという命のサイクルも大きな自然の教科書です。

身近にある死は終わりではなく、次の生を生かすために役に立つこと、次の世代のために生かされることを幼い心に知ってほしいと願っています。